悟 | |
大峰山の山伏の修行は修羅の修行。その先に在るのは菩薩、仏の修行。ここで、悟り、解脱せねば、地獄・餓鬼・畜生と、六道を輪廻します。 | |
お釈迦様は出家前にすでに阿羅漢果を得ていたとされるが、出家後も含めて多くの哲学者や宗教家の教えを受け、苦行にも専念したが悟りを得られなかった。そこで今までの修行法をすてて、尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴し身を清め、村娘スジャータから乳粥(ちちがゆ)の供養(くよう)を受けて河を渡り、対岸のピッパラ樹(菩提樹)の下で降魔成道を果たし、梵天勧請を受けて鹿野苑(ろくやおん)で初転法輪を巡らしたとする。
ブッダ(お釈迦様)は当初、自身の悟りは他人には理解できないと考え、自分でその境地を味わうのみに留めようとしたが、梵天勧請を受けて教えを説くようになったと伝えられることから、ブッダの説法の根本は、その悟りの体験を言語化して伝え、人々をその境地に導くことにあったとされる。この悟りに到達することが、後代に至るまで仏教の根本目的であるとされる。 「悟」単独の訳語として用いられる数種類のサンスクリットのうち、日本の仏教で多用される「悟る」もしくはその連用形「悟り」に最も近いサンスクリットの原意は、「目覚めたるもの(avabodha)」という名詞と、「覚された/学ばれた(avabuddha)」という形容詞である。これらとは逆に、一つのサンスクリットが複数種類以上の漢訳語を持つケースは珍しくなく、「知」「解」「一致」など数種類の漢訳語を持つ anubodha, saṃvid, saṃjñā などの名詞は「悟」と訳されることもあった。 「開悟」 「開・悟」という2字の並びは大正新脩大藏經に約1700余みられる。「開悟」は数種類のサンスクリットの訳として当てられている。ただし、その原意は「正覚」の場合と違って狭量であり、いずれのサンスクリットも「仏地を熱望する」など、彼岸行の始まりを示唆する婉曲な表現の複合語(熟語)である。サンスクリットの prativibudda の場合、開悟のほかにも「夢覚已」「従睡寤」と漢訳されることがあった。 「正覚」 語頭に"無上"や"等"など何らかの形容語がついたものを含めれば、日本で編纂された三蔵経である大正新脩大藏經に1万5700余みられるが、意味の異なる数種類以上のサンスクリットの単語・複合語の訳として用いられている。元となるサンスクリットの原意はその種類によって幅広く、初転法輪にかかわる意味から成仏に近似した意味、智波羅蜜に類した意味にまでに及ぶ。 「菩提」 bodhi の漢訳はもっぱら「菩提」であって、「覚」「道」「得道」などと漢訳される場合がある程度である。大乗経典では「bodhi」を「菩提」と音意訳せず「覚」と意訳した新訳があるが、「覚」の訳が当てられたサンスクリットは十種類以上に及ぶ。 「阿耨多羅三藐三菩提」 大乗経典が多用する「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい」は、「最も優れた-正しい-知識」「最も勝った-完全な-理解」といった意味あいで、すでに部派仏典に見られる述語である。 |
|
煩悩 六道輪廻 九品往生 波羅蜜 四苦八苦 四念処 空・無 入滅 37道品 両界 金剛界 悟 意馬心猿 十二因縁 サンスクリット 節分 干支 二十四節気 梵字 三学 自灯明・法灯明 猊下 四諦 敬讃 胎蔵界・金剛界 悟 意馬心猿 十二因縁 節分 六道修行 解脱 庚申 初午 戒・定・慧・解脱 十善戒 阿闍梨 |