解脱 | |
大峰山の山伏の修行は修羅の修行。その先には、菩薩・仏の修行。ここで、悟り、解脱できなければ、地獄・餓鬼・畜生と六道を輪廻します。 | |
.仏教においては、煩悩による繋縛から解き放たれて、全ての執着を離れることで、苦しみの輪廻の世界から悟りの涅槃の世界へと脱出することを指す。 2.ヒンドゥー教において用いられている究極的な意味合いにおいては、サマーディ(三昧)に入定し、サンサーラ(saṃsāra, 輪廻)の迷いの境界から脱することを指す。 3.ジャイナ教においては、 モークシャといい、魂という存在にとって至福の状態であり、業の呪縛や輪廻からの完全なる解放である。 解脱を果たしたものを解脱者と呼ぶことがある。 mokṣa(モークシャ)という言葉はけっして仏教のみの術語ではなく、ニルヴァーナ(梵: nirvāṇa, 涅槃)と共に古くからインドで用いられ、人間の究極の目標や理想を示す言葉として用いられてきた。 mokṣa、vimuktiは√mucを語根とする。 これは「開放する」「放棄する」などの意味である。 全ての束縛から離れることである。 大乗仏教では繋縛を離れて自在を得る意味と解釈され、古来、「自在」と解釈されてきた。 それは、外からの束縛の解放や自由より、内から自らを解放することや自由を獲得することを重要視する。 仏教では、この解脱に心解脱(しんげだつ)、慧解脱(えげだつ)、倶解脱(くげだつ)の別を説く。 心解脱 - 三昧によって心に貪著を離れること。 慧解脱 - 智慧によって無明を破ること。 倶解脱 - 心に貪著を離れることと、無明を破ることの二つによって解脱することをいう。 仏教以外のインド一般の教えでは、輪廻からの離脱であるからむしろ空相的世界の意味が強く、仏教の場合も、部派仏教では無余涅槃を究極の目的としており、身心都滅(しんしんとめつ)にして初めて解脱であるから、空相的な意味が強い。しかし、後の大乗仏教では解脱といっても、無住処涅槃の理想からいえば、生死にも涅槃にも囚われないまったくの無執着、逆にいえば任運自在の境地をいうとみてよいから、実相的な意味あいである。 |
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煩悩 六道輪廻 九品往生 波羅蜜 四苦八苦 四念処 空・無 入滅 37道品 両界 金剛界 悟 意馬心猿 十二因縁 サンスクリット 節分 干支 二十四節気 梵字 三学 自灯明・法灯明 猊下 四諦 敬讃 胎蔵界・金剛界 悟 意馬心猿 十二因縁 節分 六道修行 解脱 庚申 初午 戒・定・慧・解脱 十善戒 阿闍梨 |