戒・定・慧・解脱 | |
大峰山の山伏が参集しての大護摩供では、大導師は前方便で、戒・定・慧・解脱と、となえます。 | |
六大・三密 密教では身体は肉体から意識まで、粗大な身体(波動)と微細な身体(波動)で構成されていると考えています。 身体も心も一体であることを、六大無碍(ろくだいむげ)と呼びます。 現代社会は物質と意識が分かれていると考えていますが、密教では身体と意識は分離できないのです。 六大とは地水火風空(固体・液体・火エネルギー・気体・氣エネルギー=物質)の5エレメントで出来ている物質と、 意識エネルギーを合わせた6つの構成要素で出来ています。大きな宇宙は6つの要素で出来ているのです。 小さな宇宙、個人の身体は、三密と呼ばれ、身口意(しんくい)の三つで出来ています。 心身相関の心と身体を結ぶものが、口になります。 口はエネルギーの通り道で、そのエネルギーを制御することも出来るのです。 口は・食物、・呼吸、・言葉のエネルギーが出入りします。 ジャンクフードの食事をし、胸呼吸による浅い呼吸で、悪口雑言を言っていたらどんな身体になるのでしょう? 世界は四つの曼荼羅 空海はこの世界を四つのマンダラで表しました。 個人の心が世界を作っています。世界はマンダラで表されます。 現象世界 = 言語概念エネルギー世界 + 形態エネルギー世界 + 霊的エネルギー世界 なのです。 これをギリシャ哲学では現象世界=ロゴス+エイドス+ミトスと述べています。 これらの六大・四曼・三密の身体観が密教の主要原則です。 ヨガでは肉体+エーテル体+アストラル体+コーザル体・・・と同じ身体観を提唱しています。 密教でも同じく、何種類かの身体を想定しています。 身体=感覚器官の身体(五感=眼耳鼻舌身)+ 表層意識 + 末那識(まなしき/個人深層意識) + 阿頼耶識(あらやしき/普遍的集合無意識)+ 阿摩羅識(あまらしき/神意識)なのです。 この身体は肉体に重なり合って存在していますから、自分にこだわる心(エゴ)が強いと末那識の身体が痛みを受けます。 また過去のカルマが強いと阿頼耶識の身体が病気となるのです。 身体と意識は相即相入(そうそくそうにゅう/同位置に・同時に存在)しているのです。 五段階の修行体系・五分法身 私たちは、死ぬと肉体を離れ、意識体(魂)だけになります。 私たちの意識は、肉体に縛られている事がわからないために、多くのカルマを作ってしまいます。 肉体の束縛から離れることを、解脱と言います。 密教では生きているうちに(意識が身体内にあっても)解脱が得られると考えています。 私たちの身体は如来の身体(五分法身)なのです。 その如来の身体を磨くために ・まず戒を守ります。身口意で作る、三業の悪を止め、善を修するのです。 ・次に瞑想して、散乱する心を防ぎます。 呼吸に意識を置き、思考(左脳=論理脳)に引きずられている意識を丹田に戻すのです。 ・次に肉体に縛られている自分が、真実の自分でないことを知るのです。 その結果として ・解脱があり、最後には ・解脱を知る心(如来知自心)が用意されているのです。 空海は『それ仏法、遥かにあらず。身を捨てて、いずく何んか求めん。 迷(めい)・悟(ご)、我にあれば発心(ほっしん)すれば即ち至る。 明(みょう)・暗(あん)、他にあらざれば、信(しん)・修(じゅ)、 すればたちまちに證(しょう)す。』 と述べています。 仏法の教え(ブッダ・ダルマ)は、どこか遠くにあるものではなく、あなたの心の中にあるのです。 迷いも、覚りも自身の心によるものですから、此岸の価値観から離れ、 彼岸の価値観に至る発心をすればすぐに覚れます。 覚りという光や、無明という闇は自分の心の中にあるので、信じて修行すればすぐに覚れます。 この三番目までの悟りの階梯を、三学と呼び、 戒(かい/シーラ)、定(じょう/サマーディ)、慧(え/プラジュナー)と言い、 仏教の主要修行体系になっています。 真言密教では塗香により身を清めるときに、 『五分法身を磨耀(まよう)すと想え、戒定慧(かいじょうえ)、解脱(げだつ)、解脱智見(ちけん)なり。』と唱えます。 六段階の修行体系六波羅蜜 別の修行の階梯には、六波羅蜜(ろくはらみつ)があります。 波羅蜜とはパーラーミータ(彼岸に渡る)の音写語です。 この世(しがん/此岸)の価値観に執着する心を、彼岸(ひがん)の価値観に導こうとするのです。 ・最初に布施(ダーナ)があります。布施は此の世の価値観に執着する、自分の欲望を捨てることが重要です。 お金を修行者に差し上げることにより、達成します。 日本語の「旦那さん」とはダーナする人の語源からきています。 ・次に持戒(じかい/シーラ)があります。 戒は十善戒と呼ばれ、不殺生・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪淫(ふじゃいん)・不妄語(ふもうご)・不綺語(ふきご)・ 不悪口(ふあっく)・不両舌(ふりょうぜつ)・不慳貪(ふけんどん)・不瞋恚(ふしんに)・不邪見(ふじゃけん)になります。 悪を断ち、善を行うことで達成します。 ・忍辱(にんにく/シャンティ)は人生の苦難を耐え忍ぶ人生修行をすることです。 ・そして精進(ヴィリヤ)は仏道修行を飽きずに続けることです。 ・禅定(ぜんじょう/ディヤーナ)は瞑想修行を絶えずに実践することです。 ・智慧(ちえ/プラジュナー)はこの修行階梯により、解脱できるということを知ることです。 一度きりの人生パラダイムから輪廻転生パラダイムへ 私たちは、「一度きりの人生パラダイム」を何度も繰り返し、転生を重ねています。 この人生を変えるには、戒を保ち、彼岸と此岸の価値観「輪廻転生パラダイム」を学び智慧を獲得し、禅定をすることしか方法が無いのです。 空海は『無辺の生死(しょうじ)いかんがよく断つ、ただ禅那(ぜんな/ディヤーナ)正思惟(しょうしゆい)のみあってす。』と述べています。 |
|
煩悩 六道輪廻 九品往生 波羅蜜 四苦八苦 四念処 空・無 入滅 37道品 両界 金剛界 悟 意馬心猿 十二因縁 サンスクリット 節分 干支 二十四節気 梵字 三学 自灯明・法灯明 猊下 四諦 敬讃 胎蔵界・金剛界 悟 意馬心猿 十二因縁 節分 六道修行 解脱 庚申 初午 戒・定・慧・解脱 十善戒 阿闍梨 |